杉浦氏こそが全機現。ありのままの自分で、ZENKIGENな日本へ。

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前回のストーリー…大切なことは、全てこの人から教わった。新進気鋭なベンチャー社長を支える福の神の存在。

最高のエンジニアをCTOに迎えて

杉浦氏は、単に1対1で人を紹介するに留まらず、熱意ある人達が出会い、互いの事業を加速させるための場作りも行っている。

それが、「新令和経営道場 」だ。

新令和経営道場

初期の新令和経営道場の様子。コロナ禍以降は、オンラインで開催されている

起業再生のプロフェッショナルが編み出した、ボロボロになった組織を回復に導く手法だ。

ペアになり、1人が無敵の型と呼ばれる質問リストをもとに、順番に問いかける。次に、もう1人がその質問に答える。それを交互に行う。

月に1度の開催で90分、杉浦が「この人は」と思った人のみに声をかけ、仲間の経営者と共に運営をしているが、毎回満員御礼だという。

新令和経営道場

オンライン開催の新令和経営道場の様子

ある時、杉浦氏から「野澤さん、新令和経営道場に参加されませんか?」と声がかかった。

信頼する杉浦氏からの誘いに、野澤は迷わず参加することに決めた。

そして、このことがきっかけで、国宝級のエンジニアと呼ばれる人物をCTOとして自社に招くことができたのだった。

野澤「無敵の型にそって、ペアの方に質問をいただいて。まず、『野澤さんは、自分の会社をどうしたいですか?』と聞かれて、僕は『この会社をグローバルカンパニーにしたい』と答えました。
次に、『ではそのために、最も必要なことは何ですか?』と聞かれて、ハッとしたんです。グローバルにと言っていたけれど、それはもっと先のゴールだと思っていた。
だから質問されるまで、具体的に考えたことがなかったって」

野澤は3分ほど、ずーっとだまりこんで、考えた。そして、ハッと気づいた。

世界レベルの企業になるには、世界レベルのCTO(最高技術責任者)が必要だ」と。

野澤「そして、CTOをお願いするなら、『あの人』以外考えられないと思いました」

「あの人」とは、名村卓。サイバーエージェントの藤田 晋氏に、「国宝級のエンジニア」とまで言わしめた人物だ。

野澤と名村は、サイバーエージェント時代に、少し会話を交わした程度。当時のZENKIGENのステージにとっては雲の上の存在だった。設立して間もない企業の顧問になど、とてもではないが、なってもらえるような人物ではない。

それでも、野澤は、「彼しかいない」と思った。

すぐに知り合いを通じて連絡をとり、直接会って想いを語り、まずは顧問になってもらうところまで漕ぎ着けた。その後は共に働き、ビジョンを語り合い、サービスを作っていった。

一年後、満を辞してCTO就任の打診をし、何度も打ち合わせを重ね、いくつものハードルを乗り越え、名村が就任の快諾をしてくれた時、野澤の目からは自然と涙がこぼれた。

野澤「名村さんとなら本気でグローバルを目指していけると思ったことはもちろん、名村さんがZENKIGENのVisionに共感してくれて、共にその実現に向けて伴走してくれるということが何より嬉しかった。
そして今ZENKIGENは、グローバルカンパニーの道を歩んでいます。
それもこれも、きっかけは杉浦さん。
新令和経営道場に参加するまでは、自社の可能性に自ら蓋をしめてしまっていた。そして、そのことに気づいてすらいなかった。その蓋をあけてくれたのが、新令和経営道場でした」

野澤はその後、自身の友人経営者達を集め、杉浦氏を招き、新令和経営道場を行った

名村が快諾してくれた後、野澤はすぐに杉浦氏に報告した。すると杉浦は、嬉しそうにこんな風に言った。

良かったですね、全ては、野澤さんが頑張ったから。熱意が通じたんですね」と。私のおかげだ、という態度など、微塵も感じられなかった。

野澤「杉浦さんはいつも、懐が広く、僕の想いや話を全て受け止めて下さる。本当に奥深い人。僕が、ありのままの自分で、安心して何でも話せる、数少ない貴重な存在です。
だから出会ってから今まで、色々と相談させてもらって、その度に紹介やアドバイスなどいただいてきて…感謝してもしきれないですね」

思春期の息子の心を開いた、杉浦氏の教え

野澤には高校生の息子がいる。ちょうど思春期、家では言葉少なく、普段はあまり話そうとしない。親と距離を置きたい年頃でもある。

そんな息子が、ある日、野澤の会社でインターンシップをしたいと言い出した。

子どもが自分の会社でインターンをしたいと言ってくれるなど、親としてはとても嬉しいことだが、野澤は、極めて冷静だった。

「親父が社長だから、楽できるなんて、そんなわけない、むしろ逆だ。『あいつは社長の息子だ』というだけで社内の視線を集めることになり、むしろ厳しい目で見られる。生半可な気持ちではできない。それでもやるのか?」

そう聞くと息子は静かに「やりたい」と返事をした。

野澤「少し驚きながらも、早速、社内のメンバーに確認したところ、その場にいた全員がウェルカムな姿勢で快諾してくれて。
そこで、選考から入社まで全てをメンバーに任せ、息子は晴れてZENKIGENにインターンシップに来ることになりました」

すると後日、そのことを知った杉浦氏から、「ぜひ、息子さんに会ってお話したい」という連絡が来た。

野澤「杉浦さんは、あんなにお忙しいにも関わらず、息子のことまで気にかけてくださって…嬉しかったです。
そして早速息子に杉浦さんのことを伝えました。
素晴らしい方で、お父さんがとても尊敬している方だよ。話してみるか?』と。
すると息子も話したいと言ってくれたので、オフィスで面談の時間を持ってもらいました」

普段は家では言葉少ない息子が、果たしてちゃんと話せているだろうか。杉浦さんに失礼なことはしていないだろうか…。父親の心配とは裏腹に、二人の会話ははずみ、気づけば面談開始から1時間半が経っていた。

その時、部屋から出てきた息子の顔を、野澤は今でも忘れられないという。

野澤「僕が今まで見たこともない、満面の笑顔で、晴れ晴れとした表情で部屋を出てきたんです。こんなにいい顔をするんだ!と驚きましたし、嬉しかった。
杉浦さんは、息子の話に耳を傾けながらも、ご自身の経験から、人生を旅に例え、仕事のこと、人生のこと等を、たくさんお話してくださったようでした」

息子が当日持参したノートには、面談中に杉浦から教わったことが、びっしりとメモされていた。

野澤「一時でも、息子と共に働けたことが、何か少しでもプラスになっていればいいなと。特に杉浦さんとの時間は、彼に大きな影響を与えたように思います。父親としても、杉浦さんにお礼を言いたいですね」

代表世話人 杉浦佳浩

その時に撮影した、親子と杉浦氏の貴重な3ショット。

ありのままの自分で、ZENKIGENな日本へ

代表取締役という立場には、多くの責任が伴う。

社員100人、その家族の人生が、野澤の意思決定一つで、大きく左右される。

野澤は普段から、鎧を着て身構えるタイプではない。とはいえ立場上、やはり代表の顔を意識して人と会うことが多い。

そのような中、今や杉浦氏は、野澤が代表の肩書も、何もかも全てを削ぎ落として、一人の人間として自分をさらけ出し相談できる、非常に大きな存在となった。

なぜ、杉浦氏の前では、「ありのままの自分」で対峙できるのだろうか。

野澤「それは、『杉浦さんが、ありのままだから』だと思います。相手は自分の鏡だというように、杉浦さんが素の自分で接してくださるから。
年を重ねて、どこでも顔パスで行けてしまうような、ありえない人脈をお持ちでも、一切、偉ぶらない。いつもフラットで何の忖度もない。いつも『』なんです。
そして、その『』が、すごく温かくて、大きくて、深い。だから、安心して自分をさらけ出すことができる。
あと、こんなことを言っていいか、わからないのですが…髪型が全てを物語っていますよね。
ご自身でも『だてにはげてない』とおっしゃっていますが、はげを隠さずにさらけ出す、そこに、杉浦さんの全ての生き方が集約されているように思います」

代表世話人 杉浦佳浩

いつもユニークな杉浦氏。

野澤が経営する会社のビジョンは、「テクノロジーを通じて、人と企業が全機現できる社会の創出に貢献する」こと。

自分の持つ能力を発揮して、熱意を持って働くZENKIGENな大人たちを、今の日本で増やしていくこと。

それはまさに、杉浦のような人を増やしていくことなのだという。

ZENKIGENの仲間も、今では100名近くにまで増えた

これほどまでにみんなから慕われても、偉ぶらず、奢らず、スタンスは変わらない。仕事の枠を超え、ご縁のある人たちに、誠心誠意お世話をする。

そして、杉浦氏と関わる多くの人たちが、どんどんHAPPYになっていく。

杉浦氏こそが、全機現=ZENKIGENなのだ。

杉浦氏のような熱い大人を増やし、より良い状態の日本を、未来の世代にバトンを渡したい。

野澤の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

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