
【制作ストーリー】
会社名:代表世話人株式会社
事業内容:世話人業
創業者:杉浦 佳浩(すぎうら よしひろ)
ストーリータイプ:ユーザーインタビュー
株式会社ZENKIGENの野澤比日樹が、尊敬してやまない人物、代表世話人株式会社の杉浦佳浩氏。彼のおかげで、自社の事業は大きく飛躍したという。野澤目線で、杉浦氏の魅力を語ってもらったインタビュー。
会社を設立してすぐに、誰もが知る経済新聞社の記者に取材され、その内容が記事になり、大きな話題となった。
また、サイバーエージェントの藤田 晋氏に「国宝級のエンジニア」とまで言わしめた人物が、創業からわずか数年で、自社のCTO(最高技術責任者)に就任してくれた。
「創業して間もないベンチャー企業の僕達にとっては、どちらもありえない出来事です。ほんとに、奇跡的としか言いようがない」
そう語るのは、株式会社ZENKIGEN 代表取締役の野澤 比日樹(のざわ ひびき)。
ZENKIGENは、「テクノロジーを通じて、人と企業が全機現できる社会の創出に貢献する」とのビジョンを掲げ、主に企業の採用DX化を支援するサービスを開発、運営している。
社名の由来は、禅の言葉「全機現(ぜんきげん)」。
「人の持つ能力のすべてを発揮する」という意味だ。
野澤「今、ZENKIGENは、仲間も増え、社員100名近くまでに成長しましたが、今の僕たちがあるのは、『あの人』のおかげなんです」
野澤がいう『あの人』とは、代表世話人株式会社、代表取締役、杉浦 佳浩(すぎうら よしひろ)。紹介だけで、年間1000人の経営者に会い続ける、知る人ぞ知るビジネスマンだ。
1日のアポイントが10件を超える日もざらにあるという、杉浦氏。
その時々の経営者の課題にあわせて、ある時は、新規事業開拓に、またある時は、人材採用に対して、必要な支援を行う。
会社を設立してすぐに、誰もが知る経済新聞社の記者に取材されたのも、創業からわずか数年で、雲の上の存在であるエンジニアが自社のCTOになってくれたのも、その陰には、杉浦氏の存在があった。
杉浦氏とは、一体何者なのだろうか。今回は、野澤の視点から彼を紐解いていきたい。
目次
野澤は、1998年株式会社インテリジェンス(現:パーソルキャリア)に新卒入社。1999年創業期のサイバーエージェントへ転職し、大阪支社の立ち上げ、社長室、事業責任者等に従事し、会社の成長に貢献。
2011年に孫正義会長の誘いでソフトバンクグループの社長室に入社し、電力事業であるSB Power株式会社の設立、立ち上げに携わった。その後、2017年10月に株式会社ZENKIGENを創業した。
野澤がZENKIGENを創業した背景には、日本社会に対する、次のような課題意識があったという。
バブル崩壊以降の日本は、経済低迷の時期を過ごしてきた。毎日毎日、必死で働くが、給料は期待するように上がらず、自分たちの暮らし向きも、あまりよくならない。
家庭を顧みず、趣味を楽しむ時間もなく、毎日仕事に出かけては疲れて帰宅する。そのような親の姿を見て、子どもたちは、働くことに希望が見いだしにくくなった。
気づけば日本中には、諦めムードが蔓延していた。
失われた30年…30年で日本が失ったものは、あまりにも大きい。
「こんなにも疲弊した日本社会のまま、自分は未来世代にバトンを手渡していいのだろうか。自分の子どもたちの世代のためにも、自分たちの力で、もう一度、誇れる日本を取り戻したい」
野澤の心は、固まった。
野澤「私たちは、人生の大半を仕事に費やしています。ということは、仕事に情熱を燃やせるかどうかが、その人の人生の質を大きく左右するといっても過言ではありません。
でも、仕事に熱意を持って取り組むというのは、仕事だけ頑張るということではない。
仕事の周りにある家庭、趣味、健康、プライベートといったことが充実し、安定してはじめて、仕事にも情熱をもって取り組めるようになる。
プライベートも仕事も、全ては同じ一人の人生の中にあって、繋がり、影響を与え合っている。スパッと割り切れるものではありません。実際、家庭に心配ごとがある時などは、仕事にも集中できないですもんね」
「働くとは、マラソンのようなものだ」と野澤はいう。長い仕事人生の中で、一時だけ無理して結果を出しても、長くは続けられない。
本当の意味で豊かに、長く働き続けるためには、仕事だけではなく、家庭や趣味、健康、プライベート等の様々な視点から人生の基盤を整え、心の中から湧き上がってくる情熱を持って仕事に取り組むことが大切なのだ。
人生100年時代。私たちは、何のために働くのか。
今まさに我々は、仕事に対する価値観が変革する時代の真っ只中にいる。
野澤「熱意を持って働く人たちの割合が、たった6%と言われるこの日本で、熱く働く人達を、30%、40%と増やしていければ、日本は確実に変わっていく。
そうやって次世代に、健全な社会をつないでいく。これが僕たちが事業を行う意味なんです」
野澤と杉浦氏の出会いは、ZENKIGENの創業から3ヶ月ほど経った頃のことだった。
きっかけは、銀行の担当者から紹介されたこと。
「我々は、ZENKIGENを応援したい。そのためにぜひ、杉浦さんという方を紹介したい。年間1000人以上の社長と会っていて、ものすごく忙しい人だが、幅広い人脈を持っていて、僕らにできないところまで、御社を支援してくれると思う」と。
この笑顔、福の神。
野澤「杉浦さんの第一印象は、『福の神』みたいな人。優しい笑顔で、ひたすら僕の話を聞いてくれました。不思議だったのは、杉浦さんには、ありのままの自分で、なんでもお話ができたこと。
代表という肩書や、初対面といったことは関係なく、心をオープンにして楽しく話をすることができました。不思議な安心感でしたね」
野澤は初めて会った場で、杉浦氏に、事業にかける想いを熱弁した。
「日本はバブル崩壊以降、『失われた30年』と呼ばれ、経済が低迷する時代を送ってきた。
熱意を持って働く人たちの割合が、たった6%と言われる今の日本で、熱く働く人達を、30%、40%と増やしていきたい。自分たちの力でもう一度、日本を盛り返したい。
その環境を後押しするためにZENKIGENは、テクノロジーの力を生かした人事領域のサービスを提供していきたい」
野澤の話を聞いた後、杉浦氏はおもむろに口を開いた。
「とてもいいサービスで、非常に面白いですね。いくつか合いそうな会社さんを紹介しますね」
と。
以前のオフィスにて、野澤と杉浦氏
野澤「『紹介します』と言ってはもらったけれど、『お忙しい方だから、気長に待っておけばいいのかな』と思っていたら、とんでもない。
面談後すぐに、矢継ぎ早に様々な企業や担当者を紹介していただきました。そのスピード感には驚きました」
そして、その中に、ある経済新聞社の記者の名前があった。
早速、その記者とのやり取りをしたところ、創業当時、HR(ヒューマンリソース)テック領域に参入し、2億円の資金調達を行ったことが珍しく、そのことについて取材をされることになった。
野澤「まさか創業数ヶ月で、大手経済新聞社から取材を受けるなんて、思ってもみませんでした。そしてその後、実際に記事が掲載され、多くの方に自社の存在を知ってもらえて。
『これ以上ないというデビュー戦』を飾ることができました。その後も、15回ほど、取り上げていただきましたが、自力で取材されようと思っても、まず無理。ありえないことだと思います」
多くの人に繋いでもらった野澤だが、杉浦の紹介はどれも、通常のものとは少し違っていた。
野澤と杉浦氏。オンラインでの打ち合わせの様子
野澤「どの方も、初めて会ったのに、初回から完全に心を許して、深い話までできる。不思議な感覚でした。だから、話がはやく、トントン拍子で物事が進み、形になっていく。
それは杉浦さんが、ビジネスの相性だけではなく、その人の人柄、考え方、価値観といった人間性もしっかり見極めて紹介してくださっているからだと思います。
『厳正な杉浦さんの紹介であれば、間違いない』という安心感が、そうさせている。これって、すごいことだと思うんです」
「紹介」とは、とてもセンシティブなものだ。一歩間違えば、お互いに違和感が生じ、紹介者の信頼にも傷がつくこともある。
杉浦から紹介される人は、彼が日ごろから丁寧に信頼関係を築いてきた人たちばかり。その共通の土台があるからこそ、成り立つものなのだ。
杉浦氏は、単に1対1で人を紹介するに留まらず、熱意ある人達が出会い、互いの事業を加速させるための場作りも行っている。
それが、「新令和経営道場 」だ。
初期の新令和経営道場の様子。コロナ禍以降は、オンラインで開催されている
起業再生のプロフェッショナルが編み出した、ボロボロになった組織を回復に導く手法だ。
ペアになり、1人が無敵の型と呼ばれる質問リストをもとに、順番に問いかける。次に、もう1人がその質問に答える。それを交互に行う。
月に1度の開催で90分、杉浦が「この人は」と思った人のみに声をかけ、仲間の経営者と共に運営をしているが、毎回満員御礼だという。
オンライン開催の新令和経営道場の様子
ある時、杉浦氏から「野澤さん、新令和経営道場に参加されませんか?」と声がかかった。
信頼する杉浦氏からの誘いに、野澤は迷わず参加することに決めた。
そして、このことがきっかけで、国宝級のエンジニアと呼ばれる人物をCTOとして自社に招くことができたのだった。
野澤「無敵の型にそって、ペアの方に質問をいただいて。まず、『野澤さんは、自分の会社をどうしたいですか?』と聞かれて、僕は『この会社をグローバルカンパニーにしたい』と答えました。
次に、『ではそのために、最も必要なことは何ですか?』と聞かれて、ハッとしたんです。グローバルにと言っていたけれど、それはもっと先のゴールだと思っていた。
だから質問されるまで、具体的に考えたことがなかったって」
野澤は3分ほど、ずーっとだまりこんで、考えた。そして、ハッと気づいた。
「世界レベルの企業になるには、世界レベルのCTO(最高技術責任者)が必要だ」と。
野澤「そして、CTOをお願いするなら、『あの人』以外考えられないと思いました」
「あの人」とは、名村卓。サイバーエージェントの藤田 晋氏に、「国宝級のエンジニア」とまで言わしめた人物だ。
野澤と名村は、サイバーエージェント時代に、少し会話を交わした程度。当時のZENKIGENのステージにとっては雲の上の存在だった。設立して間もない企業の顧問になど、とてもではないが、なってもらえるような人物ではない。
それでも、野澤は、「彼しかいない」と思った。
すぐに知り合いを通じて連絡をとり、直接会って想いを語り、まずは顧問になってもらうところまで漕ぎ着けた。その後は共に働き、ビジョンを語り合い、サービスを作っていった。
一年後、満を辞してCTO就任の打診をし、何度も打ち合わせを重ね、いくつものハードルを乗り越え、名村が就任の快諾をしてくれた時、野澤の目からは自然と涙がこぼれた。
野澤「名村さんとなら本気でグローバルを目指していけると思ったことはもちろん、名村さんがZENKIGENのVisionに共感してくれて、共にその実現に向けて伴走してくれるということが何より嬉しかった。
そして今ZENKIGENは、グローバルカンパニーの道を歩んでいます。
それもこれも、きっかけは杉浦さん。
新令和経営道場に参加するまでは、自社の可能性に自ら蓋をしめてしまっていた。そして、そのことに気づいてすらいなかった。その蓋をあけてくれたのが、新令和経営道場でした」
野澤はその後、自身の友人経営者達を集め、杉浦氏を招き、新令和経営道場を行った
名村が快諾してくれた後、野澤はすぐに杉浦氏に報告した。すると杉浦は、嬉しそうにこんな風に言った。
「良かったですね、全ては、野澤さんが頑張ったから。熱意が通じたんですね」と。私のおかげだ、という態度など、微塵も感じられなかった。
野澤「杉浦さんはいつも、懐が広く、僕の想いや話を全て受け止めて下さる。本当に奥深い人。僕が、ありのままの自分で、安心して何でも話せる、数少ない貴重な存在です。
だから出会ってから今まで、色々と相談させてもらって、その度に紹介やアドバイスなどいただいてきて…感謝してもしきれないですね」
野澤には高校生の息子がいる。ちょうど思春期、家では言葉少なく、普段はあまり話そうとしない。親と距離を置きたい年頃でもある。
そんな息子が、ある日、野澤の会社でインターンシップをしたいと言い出した。
子どもが自分の会社でインターンをしたいと言ってくれるなど、親としてはとても嬉しいことだが、野澤は、極めて冷静だった。
「親父が社長だから、楽できるなんて、そんなわけない、むしろ逆だ。『あいつは社長の息子だ』というだけで社内の視線を集めることになり、むしろ厳しい目で見られる。生半可な気持ちではできない。それでもやるのか?」
そう聞くと息子は静かに「やりたい」と返事をした。
野澤「少し驚きながらも、早速、社内のメンバーに確認したところ、その場にいた全員がウェルカムな姿勢で快諾してくれて。
そこで、選考から入社まで全てをメンバーに任せ、息子は晴れてZENKIGENにインターンシップに来ることになりました」
すると後日、そのことを知った杉浦氏から、「ぜひ、息子さんに会ってお話したい」という連絡が来た。
野澤「杉浦さんは、あんなにお忙しいにも関わらず、息子のことまで気にかけてくださって…嬉しかったです。
そして早速息子に杉浦さんのことを伝えました。
『素晴らしい方で、お父さんがとても尊敬している方だよ。話してみるか?』と。
すると息子も話したいと言ってくれたので、オフィスで面談の時間を持ってもらいました」
普段は家では言葉少ない息子が、果たしてちゃんと話せているだろうか。杉浦さんに失礼なことはしていないだろうか…。父親の心配とは裏腹に、二人の会話ははずみ、気づけば面談開始から1時間半が経っていた。
その時、部屋から出てきた息子の顔を、野澤は今でも忘れられないという。
野澤「僕が今まで見たこともない、満面の笑顔で、晴れ晴れとした表情で部屋を出てきたんです。こんなにいい顔をするんだ!と驚きましたし、嬉しかった。
杉浦さんは、息子の話に耳を傾けながらも、ご自身の経験から、人生を旅に例え、仕事のこと、人生のこと等を、たくさんお話してくださったようでした」
息子が当日持参したノートには、面談中に杉浦から教わったことが、びっしりとメモされていた。
野澤「一時でも、息子と共に働けたことが、何か少しでもプラスになっていればいいなと。特に杉浦さんとの時間は、彼に大きな影響を与えたように思います。父親としても、杉浦さんにお礼を言いたいですね」
その時に撮影した、親子と杉浦氏の貴重な3ショット。
代表取締役という立場には、多くの責任が伴う。
社員100人、その家族の人生が、野澤の意思決定一つで、大きく左右される。
野澤は普段から、鎧を着て身構えるタイプではない。とはいえ立場上、やはり代表の顔を意識して人と会うことが多い。
そのような中、今や杉浦氏は、野澤が代表の肩書も、何もかも全てを削ぎ落として、一人の人間として自分をさらけ出し相談できる、非常に大きな存在となった。
なぜ、杉浦氏の前では、「ありのままの自分」で対峙できるのだろうか。
野澤「それは、『杉浦さんが、ありのままだから』だと思います。相手は自分の鏡だというように、杉浦さんが素の自分で接してくださるから。
年を重ねて、どこでも顔パスで行けてしまうような、ありえない人脈をお持ちでも、一切、偉ぶらない。いつもフラットで何の忖度もない。いつも『素』なんです。
そして、その『素』が、すごく温かくて、大きくて、深い。だから、安心して自分をさらけ出すことができる。
あと、こんなことを言っていいか、わからないのですが…髪型が全てを物語っていますよね。
ご自身でも『だてにはげてない』とおっしゃっていますが、はげを隠さずにさらけ出す、そこに、杉浦さんの全ての生き方が集約されているように思います」
いつもユニークな杉浦氏。
野澤が経営する会社のビジョンは、「テクノロジーを通じて、人と企業が全機現できる社会の創出に貢献する」こと。
自分の持つ能力を発揮して、熱意を持って働くZENKIGENな大人たちを、今の日本で増やしていくこと。
それはまさに、杉浦のような人を増やしていくことなのだという。
ZENKIGENの仲間も、今では100名近くにまで増えた
これほどまでにみんなから慕われても、偉ぶらず、奢らず、スタンスは変わらない。仕事の枠を超え、ご縁のある人たちに、誠心誠意お世話をする。
そして、杉浦氏と関わる多くの人たちが、どんどんHAPPYになっていく。
杉浦氏こそが、全機現=ZENKIGENなのだ。
杉浦氏のような熱い大人を増やし、より良い状態の日本を、未来の世代にバトンを渡したい。
野澤の挑戦は、まだ始まったばかりだ。