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「だてにはげてない男」杉浦佳浩の、旅するように仕事するモダンエルダーな生き方。

紹介だけで、年間1000人を超える経営者に会い続けるビジネスマンがいる。

代表世話人株式会社 代表取締役の杉浦 佳浩氏(以下、杉浦)。

杉浦の周りには、新規市場開拓、営業支援、資金調達、広報、マーケティング、人材採用、社員教育等、ありとあらゆる領域のプロフェッショナルや企業がいる。

彼らは、杉浦がこれまで丁寧に信頼関係を築いてきた、言うなれば「杉浦応援団」だ。

そして、杉浦は「是非会ってほしい人がいる」「あの人を助けてやってほしい」といって紹介された相手に対して、杉浦応援団の中から最適な人や企業を繋げる。

その結果、数多くの経営者や企業が、彼に救われ、窮地を脱し、事業を成長させてきた。

彼らはみな、このように口を揃える。

「すべては杉浦さんのおかげ」「杉浦さんには感謝してもしきれない」と。

彼がこれほどまでに多くの経営者から愛される理由は一体どこにあるのだろうか。

【インタビュー/ライティング】
ストーリーテラーズ 高野美菜子

人と人を繋げる、人。

「杉浦さんのお仕事はなんですか?と聞かれると、『その道のプロをたくさん知っているプロフェッショナル』かな、と…。課題を相談に来られた方に、僕の周りのプロフェッショナルを紹介して繋ぐ。

僕に相談に来られた方の課題が解決され、紹介したプロフェッショナルにとっても有益な情報交換ができる。お互いがWIN-WINになる紹介を心がけています

とはいえ、杉浦はあくまでも『繋ぐ』だけだと言う。その後、どういう展開になるかは、本人達次第というわけだ。

「でも皆さん、行動力や熱意がある方々なので、どんどん動いて形にされて、『杉浦さんのおかげです!』と連絡をいただくんです。とんでもない、僕は何もしていません。ただ『繋いだだけ』ですから。

そういえば、以前紹介した方々が、結婚された、なんていうこともあって、結婚式の乾杯の挨拶を仰せつかったこともあります。有り難いことです

代表世話人杉浦

父がしてくれたOJT、母がくれた原体験

杉浦は、人を喜ばせるのが大好きだ。

「この人を紹介すれば、きっと笑顔になってもらえるだろう」
「この人達が繋がれば、本人たちも想像だにしなかった面白いことが起こるだろう」

未来を想像しながら、まるでサプライズをするかのように、人と人を繋いできた。

この性格は、父親譲りなのだという。

代表世話人杉浦

僕のルーツは、間違いなく、お父ちゃん。僕の父は、親戚の会社の専務をしており、時には平日だけでなく休日にも、得意先を訪問し、いわゆる御用聞きを行っていました。今思えば、日常生活の中に、ごく自然に、仕事が溶け込んでいました」

日曜日になると父は、5歳の杉浦に「今からお客さんのところに行くぞ!」と言って、得意先を訪問しに出かけた。

「父はお客さんの前で、こんなことを言うんです。『いや〜うちの子が、休みの日やからどっか連れて行けってうるさいんですわ〜。だからこうして、連れて来させてもらってますー』と。僕は、そんなこと一言も言ってないのにね(笑)」

父親は得意先に行く前、幼い杉浦に、よくこんな話をしてくれた。

ええか、お客さんから頭を撫でてもらったら、にこーっと笑うんやで。そしたら、お客さんは嬉しいやろ?あめちゃんをくれたり、『僕かわいいなぁー』と言って笑ってくれはる。そうしたら、おまえも楽しいやろ?」

と。

「実際に、お客さんのところでにこーっと笑うと、すごく喜んでもらえて。『相手が笑顔になるって嬉しいなぁ』と、子どもながらに思いました。これ以上ないOJTでしたね。大人になって、父親に『あのときのこと、感謝してるで』と伝えたところ、『え?そんなことあったか?』と忘れていましたが(笑)」

一方、母親から教わったことも、杉浦の今の生き方に大きな影響を与えている。

杉浦は小学生の頃、夏休みになると、一人で電車に乗り、兵庫県の田舎町にある母親の実家に行き、叔父の農作業を手伝った。田んぼの中を走り回り、虫を追いかけ、その土地の人達と触れ合う…大阪の実家とは全く違う土地での体験は、全てが新鮮で、楽しかった。

言うなれば、これは杉浦少年にとっての小旅行だった。

「この原体験のおかげで、僕は後に旅行が好きになりました。大学時代はリュックサック一つで海外の色々な土地を回りましたし、今でも仕事で、地方に行くのが大好きです」

電車に乗って、初めての土地を訪れ、初めての人と会う。杉浦にとって仕事は、「旅行」そのもの。だから、毎日が楽しくて、仕方がないのだ。

代表世話人杉浦

自分ができることを、追求する

杉浦は、新人時代から、良い意味で人と違っていた。

大学を卒業して証券会社に入り、営業部に配属。資産家や社長といったお客から、お金を預かり、株を運用するための契約を取りに行く仕事だった。

「とはいえ、そんなお金持ちの皆さんが、新卒で入社した、株のことなどよく知らない若者の商品説明に、興味を示すわけがない。だから、営業に行っても、株の話は一切しませんでした

学生時代から、旅行好きだった杉浦。客先では、バックパッカーでこれまでに訪れた、海外旅行の話をした。

スペインで、銀行に両替に行ったつもりが、窓口を間違えて現金輸送車に近づいてしまい、機関銃を向けられた話。
フランスの黒人街で怖い人達に囲まれて、死を覚悟した話。
中国で、食あたりで倒れ、助けを呼ぶこともできず、病院にもいけず、ホテルで3日3晩、飲まず食わずで寝て過ごした話。

杉浦が旅行で体験した話をすると、お客は身を乗り出して、その話に耳を傾けてきた。

そんな話は初めて聞いた、君の話はとても面白いね!もっと聞かせてほしい

そして気づけば、紹介でお客がどんどん増えていった。

「『仕事の話をしなくても、お客さんは増えていくんだ』と、気づきました。お客さんが興味のあることを話せばいいのだと。もちろん、商品の勉強をしておくのは大前提。でも、その知識をそのまま話すのではなく、お客さんが興味があることは何か、そこにフォーカスして話していましたね

その後、精鋭揃いで、驚異の経常利益率、上場企業の高賃金ランキング常連であるキーエンスに転職した杉浦。そこでは、お客様の課題を徹底的に聞いて解決する、コンサルティングセールスの基本を叩き込まれた。

キーエンスでも、たくさんのご縁を創り成果を上げ、退職時は全社員から胴上げされ、見送られた。

そして、これまで培われた杉浦の営業の型が、次なる転職先の三井住友海上で、さらに花開く。

「会社の悩み事を聞いているうちに、以前同じような課題を解決した社長に話を聞いたことを思い出し、それを伝えたところ、とても感謝されたんです。自分には、その場ですぐ、目の前の社長の悩みに対して直接的なアドバイスをすることはできない。

けれど頭の中には、これまでの営業の中で仕入れた、別の業界や会社の事例が山のようにある。だったら、『そういう事例をお伝えしたり、実際に同じような悩みを解決した方を繋ぐことで、目の前のお客さんの課題を解決できる』と思いました」

とはいえ、そんな杉浦の姿勢が、社内の反感を買ったこともあった。

「君は偉そうにお客に紹介したり提案したりしているけど、会社のリスクのことをちゃんと考えてるんか?もしそのことでお客さんの事業が失敗したら、どうするんや。大手企業のいちサラリーマンの君が、どう責任取るんや

その時、杉浦はこう切り返した。

「そんなの、やってみないと分からない。でも僕は、お客さんの会社の課題解決にお役に立てると思うから、伝えている。失敗したときの責任?取りますよ。『会社を辞めろ』と言われるなら、その時は、潔く会社を辞めます

会社員時代から肝がすわっていた杉浦。

彼の紹介によって、多くのお客が、ビジネスを成長させていった。
代表世話人杉浦

独立のきっかけは、妻の一言

独立のきっかけは、意外なところからやってきた。

それは、2014年の6月、50歳の時のこと。

杉浦はある日、会社で倒れ、救急車で緊急搬送、そのまま20日ほどの入院を余儀なくされた。

当時の杉浦は、月曜日から金曜日まで、アポイントがぎっしりで、その上、夜は毎日会食、2次会、3次会も常だった。結果や実績を作っていたことで、社内での杉浦の待遇は、例外中の例外。

ノルマもなく、直行直帰もOK、君は好きに動いてくれればよい

と上司から言われていた。

当然、社内では、それをよく思わない人たちもいた。

あいつだけ、なんで特別扱いなんや」と。

「自由にさせてもらえて有り難かった反面、あまりに好きにさせてもらっていたので、会社に居づらくなっていた頃でもありました。その上、毎日のように暴飲暴食で働き詰めで、とうとう倒れてしまった。

そして、病院に運ばれて目が覚めた時、妻が側にいてくれて、私にこう言いました。『頼むから、もう仕事をやめてください。このままでは、あなたが死んでしまう』と。
そう言われて、肩の荷が降りました。そうか…僕はもう、会社をやめていいんだって…」

妻の言葉に背中を押された彼は、早速病室から、仲良しの経営者に電話して、事の次第を伝えた。すると、その経営者はこう言った。

杉浦さん、やめたらええねん。独立して、会社を作ったらいい。僕らみんな、応援するで!

その後、何人かに電話をしたが、全員から同じ答えが返ってきた。杉浦の心は固まった。

そして、51歳の誕生日を迎えた9月に会社を設立。年に1度の早期退職の募集に応募して受理され、12月末で退職した。

「最初は、株式会社布施という社名で会社を作りました。僕の地元である、東大阪の布施への感謝の気持を込めて。初代社長は父親。父親も、とても喜んでくれました。その後、代表世話人に社名変更しました」

何を聞いても、杉浦の口からは感謝の気持ちが溢れだす。お客へ、これまで出会った人達へ、妻へ、地元へ、そして父親への感謝。そしてそれを彼は、必ず行動で示す。

言葉の前に心あり、言葉の後に行動あり

杉浦が大好きな言葉、それはまさに、彼自身を表しているのだ。

旅するように、仕事する

杉浦は人と人を繋ぎ、誠心誠意お世話をする。今、この瞬間も。

本を出版した大切な人に対して、杉浦の周りの経営者と共に、数百人規模の出版記念イベントを開いて盛り立てた。

創業したてのベンチャー企業に、全国区の経済新聞社の記者を紹介。記事が掲載されたことがスタートアップの大きな追い風となった。

いつも、想像を超える角度でやってくる杉浦のコーディネートに、お客は舌を巻く。中には、紹介から2,3年経った後に、大きく花開くものもある。

まさに、時空を超えたサプライズだ。

「社会人をスタートした時、証券会社の当時の上司に言われたんです。『杉浦君は、旅行が好きなんやったら、営業も、仕事やと思わんと、旅行をしてると思ったらええねん。知らない街に行って、知らないお店に飛び込んで、知らない人と会って話す。それ、旅行と一緒やん』と。

『ホントや!旅行をしながら、その上お給料をもらえるって、なんて最高なんだ』と、その時思いました。今でも僕は、仕事ではなく、旅行をしている感覚。たとえ地元大阪にいても、旅行している気分。だから、毎日がとても楽しいんですよ」

代表世話人杉浦

杉浦のフェイスブックには、0歳児の赤ちゃんから、人生の大先輩まで、多くの人と会い続ける、楽しそうな写真が毎日掲載されている。この世の中に、杉浦以上に、こんなに多様な人たちと、毎日会い続けるビジネスマンがいるだろうか。

杉浦がしていることは、昔も今も変わらず、人と人を繋ぐこと。それをコツコツ積み重ねてきた結果、杉浦は今や、会いたくてもなかなか会えない、紹介の絶えない人気者となった。

最後に杉浦に質問をしてみた。

死ぬまで、ビジネスの世界で、旅するように仕事をし続けるのか?」と。

「そうですね…もし僕が今後、そういう若い皆さんから、『杉浦さんはもう古臭くてあかん。話が通じない』と言われるようになったら、それはもう、僕に賞味期限がきたということ。

その時は、ビジネスの世界から潔く去るときだと思っています。今は、20代、30代前半の一回り以上年の離れた若い経営者の皆さんとのご縁もたくさん頂くようになりました。そんな方々から『杉浦さん、今度お茶しましょう』と誘っていただく日々。有り難いことです。こうやってこれからも楽しく、毎日を過ごしていけるといいなと思っています」

ご縁ある人達に、自分ができる限りのおせっかいを通じて、これからも進化を続けていく杉浦氏。彼の今後の動向から、ますます目が離せない。

 

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