
【制作ストーリー】
会社名:つくし助産所
事業内容:助産院、お産のサポート、産前産後ケア
代表者:柄山 禪(えやま しずか)
ストーリータイプ:ユーザーインタビュー
ストーリーライター:山本直子
2020年7月、コロナ禍で、3人目となる長女を自宅出産。
家族全員で新しい命を迎えることができた喜びと自然分娩で産むことができたという達成感が、その後の私の人生の自信につながっています。
お産をサポートしてくださったのは、つくし助産所の所長で助産師の柄山 禪(えやま しずか)さん。
長男次男のお産のときにもお世話になっており、今回の出産で3回目となりますが、今でも節目節目でお世話になっています。先日も、今年2歳になった長女が、卒乳するかもというタイミングで、おっぱいケアに来ていただきました。
長男次男のお産の場所は、助産所でしたが、同じく柄山さんにサポートしていただきましたので、子どもたちのその後の成長も見守って頂ける心強さがあります。
独身時代に、子育ての先輩でもある友人から女性の生き方に関する本をプレゼントしてもらいました。
「日本では1955年頃までは、家に産婆さんが来て産むことが当たり前だった。ところが戦後、GHQの指導により、お産の場所が施設や病院へと移行し、現在では、病院での出産が50.9%、診療所が47.9%、助産所が1.0%、自宅などの施設外が0.2%となっている。
女性には自分で産む力があるし、子どもにも生まれくる力がある。だから健康ならば、必要以上の医療の介入を受けなくても自然分娩で産むことができる」
このようなメッセージがずっと心に残っていました。そして、「自分が子どもを授かって産む時には、自然分娩ができる助産所で出産したい」と思っていました。
その後、いざ自分が「妊娠したかもしれない」と分かった時に、家の近くの助産所をネット検索して探したところ、徒歩圏内にあることがわかりました。
それが、つくし助産所でした。
助産所の近くの婦人科・内科の病院とも連携しているということから、まずはその病院へ行ってみることにしました。
助産師の柄山さんとは、連携先の病院で初めてお会いしました。今から約10年前、長男を授かった時のことです。第一印象は、小柄でふんわりとした優しい雰囲気でした。
「助産所で自然なお産をしたい」という思いはあったものの、世間では、まだまだ病院での出産が一般的。初めてのお産を助産所ですることには、もちろん不安もありました。
その不安については、柄山さんに、その都度確認することで、解消していくことができました。
「もしものことがあった時はどうなるのでしょう」
「その時には、すぐに病院へ搬送するので大丈夫ですよ」
「便秘の時には、こんな食べ物が効果がありますよ」
「お散歩をして血行をよくしたり、マタニティヨガで股関節を柔らかくしたりしておくのもお勧めですよ」
自分の食事、運動、生活習慣といった身体作りの面でもいろいろと教えて頂きながら、一つひとつ不安なこと、気になることを一緒に解決して頂いて、出産を迎えることができました。
病院で産む場合は、健診の日に気になることをまとめて確認することになるかと思いますが、私の場合は、健診以外の時でも、気になったタイミングでその都度、柄山さんへ連絡を取り、すぐ解決できたことが安心につながりました。思い悩む時間が短かったように思います。
柄山さんは助産師歴30年以上で、お産の立ち合い件数も2万件以上の大ベテラン。大学病院等でのご経験を経て、2006年9月6日に助産所を開所されてからのお産のサポートは200件ほど。
これまでに10代~40代までの幅広い年代の女性の出産を様々な場面でサポートされています。
先日、自宅出産の立ち合いも100件を超えたところだそうです。
ご自身も3人のお子様を育てられている母親であり、また子育てをしながら助産師のお仕事を続けてこられた、働く女性の大先輩でもあります。
私も3回の出産は、産休に入る直前まで働いていたので、働きながらお産に臨む時の気持ちもご理解いただけて心強かったです。毎月の健診にも調整がつく日は付き添ってくださり、妊娠期間中から赤ちゃんと私の様子をずっと見守って頂きました。
出産をマラソンに例えるならば、無事にゴールできるようにコーチとしてずっと伴走していただいているような感じでした。
一般的な病院での出産ではなく、助産所で迎えた初めての出産は、おかげさまで自分も赤ちゃんも元気に産後を迎えることができました。
もちろん、陣痛は「痛かった」ですし、「いつまでこの痛みは続くのだろう、無事に生まれるかな」という不安もありましたが、分娩台ではなくベッドの上で、自分の楽な姿勢で臨むことができました。
夫は赤ちゃんが生まれる少し前に助産所へ到着。夫や実母に手を握ってもらったり、柄山さんに腰をさすってもらったりしながら、出産のその時を迎えることができたので、安心でした。
赤ちゃんと自分と家族の力を合わせて、無事に産むことができた「達成感」、そして何よりも、赤ちゃんが生まれた後も、ずっと同じベッドの上で隣に寝て過ごすことができ、授乳も赤ちゃんが必要とするタイミングですぐに出来て、幸せでした。
「お産は、どれ一つとして同じものがない。同じ母親から生まれてきた子どもたちでさえも、一人ひとり、生まれてくるときのストーリーがあるのだから、母親と生まれてくる子の組み合わせが変わればそれだけ、まるで星の数ほどのストーリーが生まれる」
これは次男を出産する時に感じたことです。長男は、出産予定日の夜に陣痛が来て、翌日の深夜に誕生しましたが、次男は予定日を過ぎても一向に生まれる気配がしませんでした。
「お母さんが怖くなければ、針でツボを刺激して、『そろそろ出てきてもいいよ~』と伝えることもできますよ」
鍼灸師の資格もお持ちの柄山さんにこのような情報を頂いて、お願いすることにしました。
「陣痛促進剤などの医療の介助にはできるだけ頼らずに、自然分娩で産みたい」という思いがあったので、そのための選択肢を教えて頂きましたが、強制されることはなく、あくまでも選んだのは自分です。
結局、次男は予定日から1週間経って、助産所で自然分娩で生まれてきてくれました。
そして迎えた3回目のお産。2020年、新型コロナ感染症が流行し始め、東京オリンピックも1年後に延期になった年。その年の7月が、3人目となる長女の予定日でした。
「コロナ禍であるため、できるだけ外出を避けて安全な場所で産みたい。長男次男もいるので、助産所ではなく、自宅出産にして、家族全員で一緒に新しい命の誕生を迎えたい」
そのように考えて、自宅出産を選びました。
もちろん、助産所ではなく自宅で産むことに、少し不安はありましたが、それよりも、「きっと今回が最後のお産だろうから、純粋にチャレンジしてみたい」という気持ちが大きかったです。
「自宅出産ってすごいね。勇気があるね」とよく言われるのですが、私の中では自然な選択でした。
というのも、助産所で長男次男を産んだ時に、柄山さんが自宅出産のサポートをされているお話を聞いて、実際にどのようにして自宅出産をサポートされていたのかを聞いて知っていたからです。
「自宅出産は、移動もなくて楽だし楽しいよ、お勧め!」
と聞いていたことも決断の後押しになりました。
助産所での出産も自分のペースで産むことができたので、特に違和感はなかったのですが、自宅出産はさらに、普段の生活の中にお産が溶け込んでいて、不思議なくらいに「楽」でした。
助産所で産む場合は、陣痛が始まってから移動して産むことになりますが、自宅の場合は、特に移動する必要もありません。実際、出産の日、陣痛がくる直前まで私がしていたことは、「生まれるまでにしておきたい!と思っていた部屋の片づけでした(笑)」
当時、小2で7歳、年少で4歳だった長男次男と普段どおりの生活をしながら出産を迎えることができたことも、安心でした。長男が学校から帰宅するのを待って、次男のお迎えにもいつも通りの時間に歩いて自分で行きました。
私;「何か準備するものはありますか?」
柄山さん;「産後のおっぱいケアに使うタオル数枚くらいかな。家にあるもので大丈夫ですよ。必要なものはこちらから持っていくので」
とのことだったので、自宅出産だからといって特別に準備したものはありませんでした。
お産を迎えた日の夜、何かを感じ取ったのか、次男はいつもよりも早く「もう寝よう」と言いだし、長男も続いていつもより早く、20時ころに就寝。その後まもなく破水したので、2階にいた夫に伝え、柄山さんに家まで来ていただきました。
柄山さん到着後は、長男・次男が寝ている寝室のとなりの居間で、定期的に来る陣痛や子宮口の状態を見ていただきながら、生まれてくるのを待ちました。
「産むためのエネルギーが必要だから、おなかがすいていたら、何か食べてもいいですよ」と言われて、家にあった甘いものを食べたり、徒歩5分圏内に住んでいてかけつけてくれた実母や夫と話をしたりしながら、陣痛をやり過ごしました。
自宅のどの部屋で産むのかについては、事前にこんなやりとりをしていました。
私;「どの部屋で産もうかな、長男・次男が起きてきたら集中して産めるのかなという心配もあるのですが、、、」
柄山さん;「どこがいい?同じ寝室で、布団の上に防水シートをひいて、産んでもいいし、となりの居間で産んでもいいですよー、その時の気分で当日に決めてもいいし。水中出産したいからという希望で、お風呂や子ども用のプールで産む方もありますよ」
「産む場所もそんなに自由なのか」と思いました。
さすがに水中出産する勇気はなかったので、その時の気分で、いつもの寝室で産むことに決めました。
いよいよ産まれる!というときには、長男・次男は私の隣で寝ていましたが、その横で、長女は無事に生まれました。陣痛が始まり、柄山さんが到着されてから、6時間くらいが経過していました。
陣痛が強くなってきたら、少し大きめの声も出ていたかもしれませんが、長男、次男はいつも通りに寝ていました(笑) 後から聞いた話では、長男は「夜中に起きたら赤ちゃんがいて、夢かと思った」とのことでした。
へその緒は、その後起きてきた次男と夫で一緒に切ってもらいました。
ちなみに3人目の性別は、生まれた時のお楽しみとしていました。というのも、長男次男と男の子が続いていて、3人目も男の子しか生まれる気がしなかったので(笑)、女の子だといいなという思いもあり、願掛けのつもりでした。
妊娠がわかってから、今回も柄山さんにお世話になることを決めたときに、「性別は生まれた時の楽しみにします」と伝えていました。
連携している病院の先生ともその約束をお守り頂いて、生まれた瞬間に私が一番最初に赤ちゃんを見て確認しました。そんな小さな希望も叶えてもらえて嬉しかったです。
「女の子だったのね!」という感動を、その場にいたみんなで分かち合うことができました。
産後、胎盤が出てくるのがゆっくりで、30分くらいかかりましたが、無理やり出すこともなく自然のリズムに任せて出てくるのをサポートしてもらいました。
生まれてすぐの赤ちゃんを抱っこして、赤ちゃんが泣いて羊水を出し終わったら、すぐに授乳。夫や長男・次男とみんなで記念撮影も家の中でスムーズにできました。
産後3日間くらいは毎日、赤ちゃんと私の様子を柄山さんが家まで見にきてくださったので、特に心配なこともありませんでした。産後もずっと家にいるので、慣れた場所で食事をしたり、シャワーを浴びたりと普段どおりの生活をしていました。赤ちゃんの沐浴も柄山さんに教えてもらって、洗面台で行いました。
「お産は病気ではない」と、どこかで聞いたことがありますが、本当に生活の一部なのだなと実感しました。
「自宅でも、必要以上の医療の介入を受けることなく、助産師さんのサポートを得て自分の力で無事に産むことができた」
1つの大仕事をやり遂げた達成感は、その後の自分の自信にもつながりました。
私は病院で産んだ経験はないので、比べることはできませんが、助産所や自宅で、柄山さんのサポートのもと、3人の子どもたちを出産することができて、本当によかったと思っています。
赤ちゃんが生まれた瞬間から、ずっと一緒にいることができて、必要な時に授乳ができる、当たり前のことが当たり前にできたので、違和感を感じることがありませんでした。
そして、「自分の力で産むことができた」という自信は、今の働き方にもつながっています。それまでは、組織に所属する勤め人として働いていましたが、現在はそのスタイルを卒業。
ずっと実現したいと考えていた、子どもたちとの時間を大切にしながら在宅で、時間と場所に縛られずに「自分で仕事をつくる」新しい働き方にチャレンジ中です。
出産は、人生の中で数回しか経験することできない、貴重な時間。
「どこで産むのか」は、健康な女性であれば、自分で選ぶことができます。
生まれてくる赤ちゃんとの最初の出会いを家族と一緒に安心して迎える場所の1つとして、自宅出産に少しでも興味を持たれたら、選択肢に加えることをぜひ、お勧めしたいです。